平和と協同のためにペンをとるジャーナリストを支援しましょう

 

市民が選ぶ2016年度基金賞

応募・推薦締め切りは10月末です

 

  第22回平和・協同ジャーナリスト基金賞への推薦・応募の締め切りは2016年10月末です。授賞に値する優れた作品、活動をご推薦ください。自薦でもかまいません。対象は反戦、平和、反核、軍縮、協同・連帯、人権擁護などに関する作品、活動です。

 対象となる作品は2015年11月以降に発表されたものです。新聞、週刊誌、月刊誌、ミニコミ紙などの記事、単行本、報告集、写真集、映画、テレビ番組、ビデオ、DVDなど。ネット上の作品は対象としません。

 記事類は実物かそのコピー、単行本は本そのもの、ビデオ、DVDやテレビ番組はそのコピーを、それぞれ簡単な推薦理由(A4で1枚)を添えて平和・協同ジャーナリスト基金運営委員会(〒107-0051 東京都港区元赤坂1-1-7-1103)までお送りください。返却が必要な場合はその旨を明記してください。

 なお、昨年度は応募・推薦合わせて84点でした。このうち8点に基金賞(大賞、奨励賞、荒井なみ子賞)を贈呈しました。

 

 

第21回平和・協同ジャーナリスト基金賞

 

受賞者・団体代表のスピーチ

 

平和・協同ジャーナリスト基金は2015年12月13日、日本記者クラブで、第21回平和・協同ジャーナリスト基金賞の贈呈式をおこないました。受賞者・団体は以下の通りですが、贈呈式での受賞者・団体代表のスピーチを紹介します

◆基金賞(大賞)

◆基金賞=大賞(1点)

 

 中日新聞社の「『平和の俳句』など戦後70年の平和主義を見つめ直す一連の報道」

 

◆奨励賞(6点)

 

★神奈川新聞取材班の「時代の正体――権力はかくも暴走する」(現代思潮新社)

 

★SEALDs編著の「SEALDs 民主主義ってこれだ!」(大月書店)

 

★下野新聞社取材班の「とちぎ戦後70年――終戦記念日特別紙面と一連のキャンペーン報道」

 

★西日本新聞安保取材班の「戦後70年 安全保障を考える」

 

★日本テレビ制作の「南京事件 兵士たちの遺言」

 

★本田雅和・朝日新聞南相馬支局長の「朝日新聞連載ルポ『プロメテウスの罠』シリーズ・希望の牧場」

 

◆荒井なみ子賞(1点)

 

漫画家・西岡由香さん(長崎市)の「被爆マリアの祈り――漫画で読む三人の被爆証言」(長崎文献社)

 

 

 

中日新聞東京本社(東京新聞)文化部長・加古陽治さん

 

「軽やかな平和運動」を目指して

 

今回の受賞は、中日新聞の『平和の俳句』など、戦後70年の平和主義を見つめ直す一連の報道に対して与えられました。『平和の俳句』は、投稿者と読者が主役であって、それを支える金子兜太さん、いとうせいこうさんの選者お2人、それから私ども中日新聞の4つの本社、すなわち中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井という新聞がみんなでいただいた賞です。 1年間に55000通の投稿があり、これまで337通を掲載してきた。投稿者は3歳から106歳にまで及んでいます。これらの営みは、いずれも平和の世の中を守り広げていくためのささやかな営みです。いとうせいこうさんはこの営みを「国民による軽やかな平和運動」と命名した。私たちが戦後営々と築き上げてきた平和、戦争のない世界をこれからも続け広げていく。それが、私たちが毎日1面に平和の俳句を載せている大きな理由です。 抑圧が進むと、私たちはもう発言できなくなってしまうかもしれない。戦争の最初の犠牲者は真実である、と古代ギリシャの詩人のアイスキュロスは言っています。今はまだそこまではいってませんが、ちょっと油断すれば、表現の自由、報道の自由が崩れ始めるのではないか。今ここでしっかりと踏みとどまるためにも、私たちメディアが、読者と共に平和を守ること、もっと平和な世の中にすることについて考える、訴え続けていかなくてはいけないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平和の俳句」の選者 俳人・金子兜太さん

 

やめろと言われてもやめません

 

『平和の俳句』の選者を、いとうせいこう君と2人で務めております。この辺でそろそろもう辞退をすべきなんじゃないかと思っとったところが、賞をいただいたと聞き、後1年は少なくともやらせていただこうと決心した次第です。 今朝、テレビで見ておりましたら、野坂昭如君が死んだ。彼は時々、「また変なものが地上にふわふわふわふわしだしておる」と言っとった。そのような時勢が生まれつつあるのではないかと思い、 まだあと何年も生きるつもりでおりますから、その間頑張って少なくとも東京新聞の仕事に協力していきたい。やめろと言われてもやめないよ、そういう気持ちで頑張っていきたいと思います。 96にもなれば、これくらいしか仕事がないんですよ。全力を尽くすつもりでおりますから、どうぞひとつ、バックアップしてください。

 

◆奨励賞

 

 

神奈川新聞報道部次長・石橋学さん.

 

意外に大きかった反響

 

『時代の正体』について、大変おほめの言葉をいただき、身の引き締まる思いです。 これは、本紙で連載したものを単行本にまとめたものです。連載を始めたのは2014年の7月15日。安倍政権が集団的自衛権の行使の閣議決定をした、その2週間後に始まったということですね。 平和とか、安保とか、ヘイトスピーチとか、差別とかの問題を取り上げよう、それに、安倍さんがこんなこと言ってて変だ、ということもやってみようということで始めたが、実はちょっと恐れがありました。権力に対して物申したり、歯向うことを書いたらどうなるだろうという恐れじゃなくて、地方紙の分際でそんなことやっていいのかな、という恐れでした。そういう腰の引けた感じがあり、社内からも、そんな大きなテーマは僕らの身に余るじゃないか、と言われた。しかし、僕らがこれまで身の回りのことだけちょこちょこやって過ごしてきた結果が、この70年の今の惨状じゃないかと思って、始めたわけです。 そんなだから、こんな記事書きましたよ、と胸をはれるようなものはまだないが、本の方が3刷りが決定しまして素直に喜んでおります。まず1歩を踏み出してみると意外に反響があって、共感もしていただけた。そこで、僕らはまだまだやれることがあるし、やるべきことがあるんだろうと思っております。今回奨励賞というのをいただいた。もっと頑張れ、という励ましの言葉だと受け止めて、第2歩、第3歩を踏み出してゆきたい。今回、市民のみなさまに顕彰していただいたのだから、もっともっと、みなさまに使われる記者でありたい、メディアでありたい、と思っております

 

◆奨励賞

 

 

 

 

 

 

SEALDs出版班メンバー・今村幸子さん

 

民主主義とは何だと問い続ける

 

素敵な賞をいただき、ありがとうございます。非常に嬉しく思っております。 賞をいただいた本は、『民主主義はこれだ!』ですが、私たちとしては、これが民主主義の形だと押し付けるつもりはありません。民主主義ってなんだろうと問い続けるその歩みが、民主主義をいい形にしていくんではないかと思っておりまして、私たちとしてはいったんこういう答えを出してみたけど、あなたたちはどんな答えを出しますか、という問いを含めた本なんです。 今の日本は、瀬戸際に立っていると思います。ジャーナリズムが委縮し、個々人のプライドのための歪んだ愛国心が満ち、民主主義が形骸化した、全体主義的な社会に変わりゆく道を進んでいくのか、それともそれを食い止め、現実的な方法で平和を保つ努力をする国になるのか。後者の道に進むためには、現状に異を唱えるだけじゃなくて、どうしたらこの状況を止められるか、どれが一番効果的な方法なのかを考え続け、行動に移していくことが、今求められている。この本は、そういった方々にとって、考えるヒントや、行動に移すきっかけ、勇気をもらうきっかけになったらいいなと思って作りました。 受賞を励みにし、SEALDs一同、これからも自分にできることを淡々とやり続けていきたいと考えております。

 

◆奨励賞

 

 

下野新聞社社会部長・三浦一久さん

 

戦争体験者の遺言を書き留める

 

戦後70年という節目の年に、平和を冠した賞をいただけるとは本当に嬉しく、光栄に思います。 私たちが栃木で戦後70年のキャンペーンを始めたのは去年の12月です。戦後70年が迫る中で何ができるのかと考えた。いろいろな方法論があるが、私たちがやろうと思ったのは、愚直に戦争の体験者の話を一つひとつ聞き、記録に留めていこうことでした。でも、体験者は歳をとっていて、ようやく探し当ててアポイントを取ろうとすると「先週亡くなりました」との返事が返ってくることもあって、これはもう語り継ぎの危機ではないかと深く感じまして、なんとしても証言を記録してゆかねば、と思いました。 連載を通じてもう一つ伝えたかったことがある。栃木県の戦時史の中で、これまで光の当たらなかった部分に目を向けてもらいたいということでした。いろいろ調べたところ、塩原温泉に戦争中、東京都の養育院、障がい者や高齢者や孤児を収容する施設が疎開してきていて、飢えや病気で大勢の方が亡くなっていたことが分かった。これを、紙面で紹介した。もう一つは沖縄との関係。沖縄戦の末期に当時の知事とともに沖縄県民の疎開に尽力したのは警察部長でしたが、その警察部長は宇都宮市出身でした。そのことも紹介しました。 こういったことで賞をいただいたわけですが、私たちの取り組みがまだ足りないことに気づかされた。もっともっと頑張らなくてはいけない。戦争体験者が私たちに残してくれた言葉は、いわば遺言のようなものですが、そこに共通しているのは、「戦争はダメだ」と、「絶対に繰り返しちゃならん」ということでした。そのことを深く胸に刻んで、これからも精進していきたいと考えております。

 

◆奨励賞

 

西日本新聞安保取材班キャップ・坂本信博さん

 

報道機関には知らせる義務がある

 

日本の平和主義が最大の岐路を迎えた戦後70年のこの年に、平和の名を冠した唯一の、しかもジャーナリストを顕彰する賞をいただき、取材班一同嬉しく思っています。 戦後70年を迎えるに当たり、私たちはどういう切り口で臨もうか、と考え、結局、安全保障の問題に真正面から切り込もうということで、『戦後70年 安全保障を考える』という企画に取り組みました。1年間、安保法案の与党協議や国会審議と同時並行で、連載を展開しました。まず、沖縄の基地問題や、変貌する自衛隊に迫り、ドイツ、スペイン、アメリカ、アフガニスタンにも飛びました。 安倍首相は安保法制を平和安全法制と呼び、積極的平和主義によって抑止力が高まると強調していますが、私たちが安全保障の現場を歩いて感じた懸念や疑問は、安保法の成立後も変わっていません。それどころか、むしろその懸念は高まる一方です。時の政権の判断に委ねられた部分が多く、歯止めのない日米の軍事一体化につながるという懸念をぬぐえません。 戦争ほど残酷なものはなく、平和ほど尊いものはない。これが70年前、日本人が塗炭の苦しみの果てに得た教訓だと私は思います。安保法は成立したが、本当の正念場は、安保法が施行されるこれからだと考えます。安保法を使うも使わないのも、最後の鍵を握るのは国民だからです。国民には知る権利があり、報道機関には手遅れになる前に知らせる義務がある。首相周辺からは、安保法に反対と言うけど、国民はすぐに忘れるよ、という声さえも聞かれます。それが現実にならないように、取材班は心して政治を監視し、知らせる義務に汗をかき続けようと、誓い合っています。

 

◆奨励賞

 

アーカイブ

日本テレビ報道局解説委員・清水潔さん

伝えたかった「加害」の一面

 

戦後70年の企画として南京事件、南京大虐殺をやってみたいと始まったわけですが、77年前の事件なんですね。その間にどんどん人が亡くなって、もう関係する方にほとんど会えないっていう状況の中でスタートを切りました。 そんな中で小野賢二さんに出会った。福島県にお住いの方ですが、この方が30年近くかけて、自分の足で南京へ行って、陸軍の65連隊の兵士が自分で書いた陣中日記みたいなものを集めていた。それを借りることができた。 それはものすごい内容でした。揚子江岸に5000人を連れ出して、射殺するとか、刀を借りて首を切ってみた、とか。つまり、わたしたちが虐殺をしたという自供の手帳なんですね。この手帳を、小野さんは自費で走り回って、南京に出兵した200人に会い、うち31人から日記を借りることに成功した。これはすごいということで取材を開始しました。 その後、この日記が本当なのか検証しました。裏取りですね。それを続けて、放送できたわけで、小野賢二さんの協力なしにはできない番組でした。 番組のラストにこういうナレーションを入れた。「戦争を振り返る時、日本人は自分たちを被害者として考えることがあります。しかし、多くの命を奪ったという一面も忘れてはなりません」。これは、私たちが伝えたいことの一つでした。 日中戦争が始まり、それに対して米国、イギリスが経済制裁を加えた。そして鉄鉱石や石油を止められる。追い込まれた日本は、真珠湾攻撃に走り、その後太平洋戦争へと拡大していく。その後に、沖縄戦、空襲や原爆といった悲しい出来事が起きる。私もこれまで、日本人は大変だったよな、ひどい目に遭ったよな、という報道ばっかりやってきた。これはこれで決して許せない、忘れてはいけない傷跡ですが、なぜこれが始まったのかという部分は、いまだにきちんと伝えられていないのではないか。こういった部分が当時も報じられず、その後も歴史が歪められていくといった中で、これをきちんと伝えなきゃいけない、という思いで放送をさせていただきました。 こういう番組にこういう形で光を与えていただき、ありがとうございました。

 

◆奨励賞

朝日新聞南相馬支局長・本田雅和さん

 

「民衆の斥候たれ」を目指して

 

福島県の南相馬は、原発事故から4年10カ月近く経っても避難指示区域を抱え、たくさんの人が仮設住宅で暮らしております。東京に出てくると、もはや原発事故なんてどこの国の話だというふうな状況になっていて、違和感どころか、怒りを禁じえません。 受賞の知らせをもらった時、大変光栄に思いました。市民版ピューリッツア―賞と言われるそうですが、もしこれがピューリッツア―賞だったらお断りしました。ピューリッツア―というアメリカの新聞王が米西戦争で大金を儲け、余ったお金をジャーナリストたちに与えているわけですが、戦争が起きると、良質なジャーナリズムは弾圧され、悪質なジャーナリズムが儲かって仕方がないわけです。イラク戦争でもアフガン戦争でも、日本のジャーナリズム、週刊誌ジャーナリズムなどは大いに部数を増やし、儲けました。 権力の手先をしているようなジャーナリズムが繁栄する社会で、私が敬愛してやまない本田靖春さんはこう言っています。「新聞記者は、民、民衆の斥候たれ」と。それを表すようなこういう賞をいただけるとは光栄です。新聞協会賞もお断りします。これは政治的に決まっている賞ですから。  『希望の牧場』という連載記事は、原発事故で被曝した牛は殺せという国の命令に抵抗して、泣きながら300頭の牛に餌をやり続けている、満州棄民の末裔たる吉沢正巳さんのことを書いた記事です。実を言うとさっきまでその辺に座っていたんですが……。つまり被曝地の現状と、棄民にさせられる個人、そして国家の命令には簡単に従わない個人を紹介したかったわけです。

 

◆荒井なみ子賞

漫画家・西岡由香さん

 

長崎の皆さんとの共同受賞

 

素晴らしい賞をいただき、心から感謝申し上げます。作品の中で描かせていただいた方の1人が被爆者の小峰秀孝さんですが、今回の受賞をとっても喜んでくださっています。 長崎に生まれて表現活動をする者は、原爆とは無縁ではいられません。周りに被爆者や、その家族の方がいらっしゃるから。そして、核兵器がまだ地上にたくさんあるから。それに、どんどん亡くなっていく被爆者の方たちから、その願いを託されるからです。漫画を描こうとすると、その人たちの思いや声がペンの宿るのを感じます。ですから、この賞は被爆者の方たちや、平和を願って活動をしている長崎のみなさんとの共同受賞だと思います。 わたしの祖母は被爆者ですが、私は被爆していません。被爆をしていない者が、原爆の漫画なんて描いていいんだろうか、と思って、何人もの被爆者の人たちに尋ねました。その度に返ってきたのは、「描いてください。私たちが経験したことの1万分の1でいいから描いてください。でなければ、その記憶はゼロになってしまう」という言葉でした。 まず下書きを描いて被爆者に見て頂くんですけど、いろんなご意見をいただきます。風景を描くと、「いや、違う。ここにはもっと人骨が転がっていた」とリアルな話がいっぱい出てきます。被爆後の写真を見ながら描くんですけれども、その中で気づいたことがある。被爆後の風景の中には直線がない、ということです。すべてが木っ端みじんになっているからです。原爆というのはこういうものなんだ、と思いました。 被爆者は、あの日から、ずーっと8月9日が続いとる、といいます。70年経っても、被爆者の身体や心には、深い傷が残っている。原爆は一度落とされたら終わらない。戦争もまた、始まったら、終わらない。だから戦争はしちゃいけない。だから、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォーと、被爆者のみなさんはずっと訴えてきた。これからも描き続けないといけない、と思っています。

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