平和と協同のための日本版ピューリッツアー賞 平和・協同ジャーナリスト基金
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2019年 第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞

平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF)は2019年11月28日、今年度の第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞の受賞者を発表しました。
今年度の基金賞選考にあたっては、推薦と応募合わせて61点(活字部門33点、映像部門28点)が寄せられましたが、審査委員の太田直子(映像ディレクター)、鎌倉悦男(プロデューサー・ディレクター)、高原孝生(明治学院大学教授)、鶴文乃(フリーライター)、前田哲男(軍事ジャーナリスト)、本間健太郎(芸能クリエーター)の6氏による選考の結果、次のように基金賞=大賞、奨励賞の受賞者・団体が決まりました。
受賞者・受賞団体代表をお招きしての基金賞贈呈式は、12月7日、東京・内幸町の日本プレスセンター内、日本記者クラブ大会議室で行います。

基金賞(1点)

奨励賞(7点)

今年度は、寄せられた作品のテーマが極めて多様であったことが、まず審査委員の目を引きました。これまでは、核兵器、ヒロシマ・ナガサキ、原発、憲法、安保、自衛隊、沖縄の米軍基地なといった課題を論じたものが大半でしたが、今年はこれらに加えて、日本の植民地支配、在日朝鮮人、人権問題、表現の自由、メディアのあり方などを論じたものが目立ちました。そのうえ、取材や執筆に時間をかけた力作、労作が多く、このため、入賞作を選ぶ審査委員の論議も長時間に及びました。

■基金賞=大賞(1点)に選ばれたのは、京都新聞社取材班の「旧優生保護法下での強制不妊手術に関する一連の報道」でした。
これは、旧優生保護法下で、特別の疾患や障害を理由に子どもを産む権利を国に奪われながら、謝罪も補償もないまま沈黙せざるを得なかった人たちの存在を明らかにした3年間にわたる報道です。旧優生保護法下での強制不妊手術を受けたハンセン病患者やその家族には補償金を支給する法律が成立、施行されているが、同じ目にあった精神障害者や聴覚障害者らはほとんど放置されたままです。そうした実態を綿密で実証的な取材で掘り起こしたもので、選考委では「実に見事な報道活動」「世界でも、日本でも、これまで不当に差別され、虐げられてきた少数派の人々の人権を回復しようという動きが強まりつつある。これは、そうした潮流に対応したタイムリーなキャンペーンだ」と絶賛する声があがりました。  
人権問題に関する報道が大賞を受賞したのは初めてです。

■奨励賞には活字部門から5点、映像部門から2点、計7点が選ばれました。  

まず、沖縄タイムス編集局の「権力の暴走をただし、民主主義を問う一連の報道」は、沖縄県宮古島市がゴミ事業をめぐって市民を名誉毀損で提訴する議案を市議会に提出するという行政によるスラップ訴訟の異常さや、今年施行された改正ドローン規制法の危険性を指摘した報道です。選考委では「安倍政権登場以来、政府や自治体による民主主義を侵害する権力の行使が目立つ。これに立ち向かった新聞社のキャンペーンに敬意を表したい」「本土の新聞では改正ドローン規制法に関する報道が少なかった。その危険性をきちんと分析して伝えた紙面は優れたもので、顕彰に値する」とされました。

共同通信記者・平野雄吾さんの「入管収容施設の実態を明らかにする一連の報道」は、強制退去を命じられた外国人を拘束する法務省出入国在留管理庁収容施設の非人道的な実態を明らかにしたものです。選考委では「入管収容施設における外国人に対する非人道的な扱いは、一般の人にはほとんど知らされていない。それを明らかにした先駆的な報道」「この一連の報道で他紙もこの問題を取り上げるようになった点を買いたい」といった意見が出ました。

朝日新聞記者・三浦英之さんの『南三陸日記』と朝日新聞連載『遺言』は「毎年、原発関係で必ず一編を選びたい」との方針から、4編あった候補作品の中からこれが選ばれました。東日本大震災直後、津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町に約1年間暮らしながら被災した人たちを取材し続けた記録をまとめたのが『南三陸日記』、震災にともなって起きた原発事故の被災自治体の一つ、福島県浪江町町長への死の直前のインタビューをまとめたのが『遺言』です。「被災地に長期間常駐して書いた記録だけに被災住民の苦しみ、悲しみが実に子細にかつ深く描かれていて、心打たれた」「全町民避難という事態を強いられた浪江町民の苦難がひしひしと伝わってきて、原発による放射能禍がいかに恐ろしいものであるかを改めて知らされた」との評価でした。

揺るがぬ証言刊行委員会の「揺るがぬ証言 長崎の被爆徴用工の闘い」は、戦時中、三菱長崎造船所に徴用され、被爆した3人の韓国人が被爆者手帳を長崎市に申請したものの却下されたため、国と長崎市を相手取って提訴し、今年1月、長崎地裁で勝訴するまでの経緯を記録したものです。選考委では「実によくまとめられた記録だ」「徴用工の闘いから、改めて日本の対朝鮮植民地支配について考えさせられた」「日韓両国民による献身的な支援活動が判決に影響を与えたとの印象を受けた。このことは特記されるべきだ」との論評が続きました。

信濃毎日新聞編集委員・渡辺秀樹さんの「『連載企画 芦部信喜 平和への憲法学』と関連スクープ」も高い評価を得ました。在任期間最長を誇る安倍政権は改憲に意欲を燃やし続けています。ですから、護憲派としては、堅固な改憲反対理論をますます磨かなくてはならないわけですが、平和憲法制定以来、護憲派の憲法論をリードしてきたのが憲法学者の芦部信喜(長野県駒ヶ根市出身)です。その芦部の生涯の軌跡を追いながら、彼の平和主義がどのようにして形成されたのかを明らかにしたのがこの37回に及ぶ連載です。選考委では「芦部の平和主義の原点がよく分かる」との賛辞が寄せられました。「関連スクープ」とは、長野県知事が県護国神社の崇敬者会長を務めたり、神社への寄付集めに関わっていた事実などをつかみ、報道したことです。

■映像部門から奨励賞に選ばれた2点はドキュメンタリー映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」<佐古忠彦監督作品、TBSテレビ>と、ドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」<井上淳一監督作品、(株)ドッグシュガー>です。

「米軍(アメリカ)が最も恐れた男……」は、沖縄の政治家・瀬長亀次郎の生涯を描いた作品です。本土復帰後、国会議員に当選した瀬長は国会で「1リットルの水も一握りの砂も一坪の土地もアメリカのものではない。沖縄の大地は基地となることを拒否する」と訴えるなど、沖縄県民のリーダーとして活動した。選考委では「歴史的背景も取り入れながら彼を描くことで、本土から差別され続けている沖縄の今を観客に強く訴える作品となっていることを評価したい」とされました。

「誰がために憲法はある」は、芸人・松本ヒロが20年以上演し続けている、日本国憲法を擬人化した1人語り『憲法くん』を、今年87歳を迎えた女優の渡辺美佐子さんが演じるシーンと、渡辺さんを中心とする10人の女優たちが33年も続けてきた原爆詩の朗読劇を収めたドキュメンタリーです。選考委では「憲法の大切さと戦争放棄の理念を表現した、今日的存在感のある力作として高く評価したい」とされました。

そのほか、活字部門では▽フリージャーナリスト・森口豁さんの「紙ハブと呼ばれた男―沖縄言論人池宮城秀意の反骨<彩流社>▽藤原健・琉球新報社客員編集委員の「魂マブイの新聞」<琉球新報社>▽高橋信雄・元長崎新聞論説委員長の「東洋日の出新聞 鈴木天眼~アジア主義 もう一つの軌跡」<長崎新聞社>▽飛田晋秀さんの「福島の記憶 3・11で止まった町」<旬報社>▽田中一彦・元西日本新聞記者の「日本を愛した人類学者 エンブリー夫妻の日米戦争」<忘羊社>が最終選考まで残りました。

第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞贈呈式 受賞者・受賞団体代表の皆さんのスピーチ

受賞者・受賞団体代表をお招きしての基金賞贈呈式は、同年12月7日、東京・内幸町の日本プレスセンター内、日本記者クラブ大会議室で行いました。

贈呈式では、受賞者・受賞団代表の皆さんからスピーチがありました。その大要を紹介します。

基金賞(大賞) 京都新聞社取材班記者 森 敏之さん

旧優生保護法の被害者を探し出す

大賞をいただき、ありがとうございます。基金賞が市民の浄財で運営されているとうかがい、身の引き締まる思いです。  
旧優生保護法は特定の病気や障害を名目に、本人の同意のない不妊手術や、優性条項に基づく中絶を認める法律でした。1948年に成立して、1996年まで続いていた。当時、国はこの法律が憲法に反しない理由として「きわめて慎重な審査手続きがある」といい、正当化していた。

京都新聞が京都と滋賀の公文書に注目したのは2016年のことで、これらの公文書を見たら、当時の国の主張をくつがえす、ずさんな審査の手続きの実態が次々と浮かんできた。また、当時の公文書の大半が廃棄されていて、被害者がどういう理由で不妊手術させられたのか把握できない状態になっていることも分かった。

地元の被害者や、結果的に手術に加担することになった方たちを徹底的に探し、その証言にこだわった。結局、110人ほどの当事者に話を聞いた。40年前の不妊化措置を夫にも告げることができない聾(ろう)の女性は、手話で胸をかきむしるような仕草をしながら、「あのときはほんとうに苦しくて、苦しくて」と訴えた。

今回の大賞は、3年間で取材に応じてくださったすべての方々に贈られたものであると受け止めている。

4月に、不妊手術を受けさせられた人たちに対する「一時金支給法」ができたけれど、国も都道府県も実態調査とか検証作業に非常に消極的。今日いただいた激励を力に変えて、これからも被害者の言葉に耳を澄ませてゆきたいと思います。

奨励賞   沖縄タイムス編集局 阿部 岳さん

スラップ訴訟やドローン規制と闘う

基金賞への応募は3つの報道です。1つ目は宮古島市での住民訴訟を巡る報道。行政のずさんな事業を問うた住民たちが裁判に訴え、敗訴したが、仕返しに市長が住民たちを名誉棄損で訴えるという議案が市議会に提出されたんですね。与党多数で可決されそうだというので、報道を始めた。この市長、沖縄の保守のリーダーで、典型的なスラップ訴訟(威圧訴訟)だった。1カ月ぐらい報道した末に議案は撤回された。  

2つ目は、参院選で自公側の候補の陣営でゴタゴタがあり、選挙後に同僚が書いたら、自民党が抗議してきた。記者会見を開き、「今後は記者キミたちみんな、匿名でなく必ず実名で書きなさい」と言うので、これは報道の自由に対する圧力であると報道した。  

3点目はドローン(小型無人機)規制法改正についての報道。これにより、指定された防衛関係施設の上空の飛行が禁止になった。これはもともと米軍の司令官が防衛大臣にこういう法律を作ってくれと頼んだところから始まっていて、今後、沖縄の基地が指定されていくことになる。指定されると、一番直近で影響を受けるは辺野古の新基地建設の現場だ。我々もドローンを持って飛ばしているが、これが出来なくなるおそれがある。米軍施設の監視にはドローンの力が必要だが、それが出来なくなる。改正の名目はテロ対策とか五輪対策だが、実際は機密が優先された。

我々は市民のために書いている。市民からいただいた基金賞に励まされながら、今後も防衛関係の施設の監視を続けたい。

奨励賞   TBSテレビ報道番組部担当部長 佐古忠彦さん

沖縄の戦後史を伝えたい

意義深いそして名誉ある賞をいただき光栄です。 この作品『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』は米軍占領下の沖縄で米軍と闘い続けた瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画で、2年前に作った第1作に続く第2作です。

なぜ瀬長亀次郎さんにアプローチしたのか。私も長くテレビに出てニュースを伝えたり解説したりしてきたが、その中でも一番多く通った現場の一つが沖縄。でも、どこまで全体像を伝えきれているのか?そんな疑問がずっとあった。 基地問題などを伝えても、本土側から、誤解にもとづく理解のない沖縄への批判の声が上がる。なぜだろう。それは、沖縄の戦後史というものへの認識がすっかり本土側に抜け落ちているのではないか。だとしたら、暗黒時代と言われた占領下の沖縄で、まさに市民にとっては一筋の光だった瀬長亀次郎さんにアプローチすることで、今まで見えていなかったものが見えてくるのではないか。

第2作は人間亀次郎に迫りたいと思った。230冊以上残した亀次郎さんの日記に向き合ってみると、そこには、人間をほんとうに大切にする姿があふれていた。

沖縄は一つひとつ民主主義を勝ち取ってきた。いわば与えられた本土側の民主主義とは違って、その重みはずっと重い。確固たる意思をずっと民主主義の中で示し続ける。それが沖縄の姿だ。民主主義のありようが本土側につきつけられている、とも言える。

沖縄をめぐる議論がどこまでまっとうなものになっているか疑問だ。事実認識を共有することで初めてまっとうな議論の入り口に立てる。議論の材料をきちんと提示するような仕事を、これからも地味でも少しずつでも続けられたらいいなと、と思っている。

奨励賞   『誰がために憲法はある』監督 井上淳一さん

未完成な護憲映画からの脱出を

日本映画は毎年、1500〜1600本作られていると言われる。その中にちゃんと社会と向き合った映画がどれだけあるのだろうか?残念ながらごくわずかです。

さらに残念なことは、我々の映画は届く人にしか届きません。『誰がために憲法はある』であれば、見に来るお客さんは「改憲ってダメだよね、9条を守らなくては」という方々。そして、「やっぱり9条は守らなきゃ」という自己確認にしかならない。

もちろん、自己確認に意味がなくはない。問題は、改憲反対の人と改憲絶対賛成の人の間に「まあ、憲法よりも年金や消費税のことが気になって…」みたいな方が多数いること。この人たちにこそ我々の映画を見ていただいて、その人たちの価値観なり魂をゆさぶらなくてはいけない。残念ながら我々の映画はそうした力に成り得ていない。そのことだけは肝に銘じていかなくては。

我々の映画は劇場公開だけでは製作費を回収できないので、その後の自主上映に頼ります。が、全国でこういう映画を上映できる都道府県は40ぐらい。「映画は作っただけでは完成しない。人に見てもらって初めて完成する」とよく言われる。そういう意味では、我々の映画はなかなか完成しない。

自主上映に頼らなければならないと言っても、公民館でこの映画を上映できるか? 島根の某私立高校でこの映画の上映会を画策してくれた人がいたが、校長が「この映画は、憲法は国民が国を縛るのだと言っている。こういう考えはきわめて一方的なので、我が校の校風にそぐわない」と言って上映中止に。そういうことが起こっている。

大文字の改憲こそまだ行われていないが、小文字の改憲は至るところで行われている。9条があっても集団的自衛権行使が容認され、武器の見本市が日本で開かれている。もし安倍政権ここで終わらなければ必ず改憲が起こる。自分にどういうことができるか、今や水際の闘いだと思っています。

奨励賞   共同通信外信部記者 平野雄吾さん

信じがたいことが起きている入管施設

受賞と聞いて一番嬉しかったのは、入管収容を社会問題の一つとして取り上げていただいたことでした。

難民申請者をはじめ、在留資格のない外国人を無期限に拘束している入管施設は全国に17カ所あるが、そこを最初に訪れたのが2017年。それまでカイロ支局特派員をしていたので、多くの難民を取材した。で、日本に逃げてきた難民はどういう暮らしをしているのだろう?と気になっていたので、取材を始めた。

埼玉県には多くのクルド人が住んでおり、取材に行くと家族が入管で拘束されたとか、そういう話が数多くあって、入管って何だろう?と思ったのがきっかけで、茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」へ行った。

最初に会ったパキスタン人男性は2年半拘束されていて、80キロあった体重が35キロになったといい、車イスで現れた。何か大変なことが起きているのではと思い、それから各地の入管へ行って収容者に面会し、話を聞いてきた。すると、職員から暴力を受けた、監禁された、懲罰を受けた、お腹が痛いと言っても病院に連れて行ってもらえない、そういった信じがたい話が出てきた。

入管施設に収容されているのは、在留資格がない外国人です。内訳を見ると、多くは母国での迫害を逃れて日本政府に助けを求めてきた難民申請者だったり、10年以上日本で働いてきた労働者で、日本に子どもや奥さんがいたりする外国人なんですね。日本の難民認定率は2018年で0.25%。その一方で、単純労働の外国人は受け入れないという建前を貫きながら、人手不足の建設、製造業での不法滞在の外国人を黙認してきた。

本来、入管施設は強制送還するための場所。飛行機を待ちのための施設なのに、今は無期限に拘束している。オリンピックの前に不法滞在者をゼロにしたいという方針から、圧力をかけて自費出国を促すというのが政府のやり方だ。

欧州連合、欧州委員会は在留資格のない外国人に対して、拘束はするけど、原則半年までにしなさいという形で加盟各国に指令を出している。日本の現状を一刻も早く変えるために、これからも入管施設の実態取材を続けたい。

奨励賞  朝日新聞南相馬支局記者 三浦英之さん

「アンダーコントロール」に支配される日本

福島県の南相馬市から来ました。

賞をいただいた2つの作品の1つ『南三陸日記』は2011年3月に起きた東日本大震災の直後に宮城県南三陸町に入り、1年間避難所に住み込んで、被災した人々の記録をまとめたものです。それが2019年の2月に集英社文庫になった。その際、その後の現地の模様を書き加えた。

今は南相馬に赴任しているけれども、一昨年、福島のことはあらゆることが書き尽くされているのだろうか、というあせりがあって、半年間、避難指示が解除されたばかりの浪江町で新聞配達をしながら、被災地を見つめた。新聞記者が新聞配達をする(笑)。配達をしたのは『福島民友』で、朝の2時から6時まで配達した。読者の多くがお年寄りであってイノシシが跳びかう。こうして地域の姿を取材させていただいた。

それを朝日新聞に15回連載したところ、浪江町の町長が「三浦さんにぜひ言いたいことがある」と、自宅に私を呼んでくださり、地震直前のこと、原発事故直後のこと、東京電力とのやりとりなどを3日間にわたって話された。それを新聞に連載にしたのが、今回受賞のもう一つの作品『遺言』です。

来年夏に東京オリンピックが開かれるが、首相がオリンピック招致のために、フクシマの状況はアンダーコントロールされていると言った。「アンダーコントロール」という言葉が大きなターニングポイントになって福島の現実を語りづらくなったというのが今の日本ではないか。つまり、真実を語りたくても、アンダーコントロールという言葉にコントロールされてしまっている。

そうした福島の現状を、大きな声でなく、小さな声で書き残していきたい。

奨励賞   揺るがぬ証言刊行委員会 樋口岳大さん

平野伸人さん、河井章子さん日韓和解はまず事実の共有から

受賞した『揺るがぬ証言 長崎の被爆徴用工の闘い』は、三菱重工長崎造船所に徴用され、被爆した3人の韓国人が被爆者手帳を取得するまでの闘いを記録したものです。3人の勝訴は平野伸人さん、河井章子さん、市民団体「強制動員真相究明委員会」など多くの市民や弁護士の協力で実現したが、本を主に執筆したのが私だということで、私がご挨拶を申し上げる。

3人の元徴用工は、被爆者手帳の交付を長崎市に申請したが、市は本人の証言だけでは交付できないと却下。そこで、3人は長崎地裁に訴えたわけだが、長崎市は、証拠とか証人がいなければ被爆者として援護の対象にならないという姿勢を最後まで変えなかった。そこで、私たちは3人の証言を裏付けるものを探し続け、長崎の地方法務局が本来保存しておかなければならないはずの元徴用工の名簿を廃棄していたことを明らかにした。

その結果、3人は勝訴。国が一方で、手帳の申請者に厳密な証拠を求めておきながら、その証拠を自ら捨てていた事実は、裁判の行方に大きな影響を与えたと私どもは考えている。

今、日韓両国の間には大きな溝がある。5年前、私たちが初めて韓国で元徴用工の1人にお会いした時、「自分をひどい目に会わせた日本から、いったい何しに来たんか」とおっしゃりたげなとても厳しい視線を私たちは感じた。しかしその後、その人とやりとりを重ね、裁判の時は日本へ来ていただいた。勝訴が確定して、韓国に会いに行ったら、その人はやわらかい表情で迎えてくれた。この変化は、その人が「この人たちとは人生を共有できた」と思ってくださったからではと感じている。

何があったのかという事実を共有すること。これは日韓の問題を考えるうえで非常に重要なことではないか。そのためにジャーナリズムが果たす責任は大きい。その一端をこの本の刊行により果たせたのであれば、非常に意味があったと思う。

※ 写真:平野伸人さん、河井章子さん

奨励賞 信濃毎日新聞編集委員 渡辺秀樹さん

平和憲法擁護の芦部信喜の紹介に注力

憲法が、岐路に立っている。そんな時に、平和・協同ジャーナリスト基金が、地方紙にとどまっていた憲法の連載が全国の人々に知られるきっかけを作ってくださったことに深く感謝します。

「芦部信喜 平和への憲法学』の連載を始めたきっかけは、数年前の国会で憲法改定問題にからんで安倍首相が野党議員から「芦部信喜という憲法学者を知っているか」と聞かれて、「存じ上げない」と答えたことです。総理大臣が著名な憲法学者を知らないなんて驚きだったが、一般の人も芦部さんを知らない人がほとんど、ということに気付いた。それならば、戦争体験があって、徹底した平和主義を打ち出している芦部さんの憲法学を多くの人に知ってもらおうじゃないかと、連載を始めたわけです。芦部さんが長野県の出身ということもあった。

私には芦部さんの学説は難しかった。それでも、できるだけ分かりやすく紹介するよう心がけた。

印象に残っている芦部さんの発言がある。中曽根康弘さんが、戦後の総理大臣として初めて靖国神社に公式参拝する、そのための根拠とするために「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」という審議会を作った。その委員だった芦部さんは、首相の公式参拝は憲法の政教分離に違反すると主張したけれども、審議会は参拝を容認する結論を出した。それに対し、芦部さんは新聞のインタビューに「二度と戦争を繰り返さないようにという戦没者の声が聞こえる。これを将来に生かすには憲法の基本原則を守ることが重要である」と答えている。この言葉は重く響きます。